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っていない。僕は疲れると海を見詰めていたくなる。海を見ていると、僕の思いは、果てしなく広がってゆく。そして、その思いは、深海にまでとどく。
僕はそのなかで、人生の様々な事柄について考える。海は、そんな僕の思いを、黙って
のみ込んでしまう。
太陽の沈む夕景の穏やかな海も、荒れ狂った海も、僕に、夢と安らぎを与えてくれるのである。
海は、僕にとって、人生そのものと云ってよいかも知れない。

 

「海の日」に寄せて
安田火災海上保険(株)社長 有吉孝一
自分の誕生日が国民の祝日になる。そう聞いて、少年時代の日々を思い起こした。母の故郷が、小さいが自然、風物、産物の豊かな島であったから、夏休みになると叔父の家に長期滞在しては、思いきり海に親しんだ。沖に漕ぎ出した小舟からいきなり海に放りこまれて泳ぎを覚えたこと、桜貝や小さい貝殻が宝物に思えたこと、海に沈む太陽に声も出なかったこと、さざえを自分で焼きながら好きなだけ食べたこと。尽きない思い出に磯の香りが鮮明に甦ってくる。戦争間もない小・中学時代を豊かな環境の中で過ごせたのも、海のおかげだったとつくづく思う。
海辺に行くと飽きずに海を見るが、今では海を見ることも少ない日を送っている。これから、毎年の誕生日が海に思いを馳せるいい日になる。

 

海・船・わたし
児童文学者 遠藤寛子
「あなたの大叔父さんは、常陸丸という日本で最初に作(ママ)られた、欧州航路の大きな船の士官だったのだよ」
小さい時から母に聞かされ海へのあこがれを育てた私でした。
国民学校生の頃、海の記念日が制定され、それが私の誕生日だったので、とても誇らしく思ったものです。今度その日がさらに「海の日」として国民の祝日になる−すばらしいことです。
児童文学に関わる者として、海と船についての内外の児童書を見かけると求めていますが、英国などに比べてわが国は質量共に十分でない気がします。常陸丸(一次)の歴史などもキャンベル船長始め日英のクルーが如何に雄々しく義務を果したか、今日もっと知られてよいと思います。日英の遺族の消息もほとんど伝えられていません。
海国日本にふさわしいこの有意義な祝日の制定を機会に、七つの海をかけめぐった日の丸商船隊の輝く歴史が広く知られますように!

 

海の記念日
ナビックスライン(株)会長 石井和夫
私が国民学校の高学年になった頃、日本海洋少年団が結成され、応募した。海の記念日には市内の国民学校の団員が集まって整列し、行進をやった記憶がある。私が誕生日の七月二十日を海の記念日と認識したのはその頃からであったと思う。
その後、はからずも海運界に身をおくことになり、何時の頃からか海の記念日は休日、即ゴルフコンペの楽しい日と相成った。加えて、最近は歳のせいか、子供の頃毎年夏には親しんだ故郷瀕戸内の海辺をなつかしく思い出す。今年から海の記念日が同民の祝日になるという。私が平成三年、日本船主協会の副会長として広報委員長を拝命した時には、既に根本金長(当時)を先頭に海の記念日を国民の祝日に、という運動が強力に展開されていた。各種のイベントに参加させていただいた中で、何故七月二十日が海の記念日なのか?子供の頃から長年抱いていた疑問も氷解して益々身近なものとなって来た。
今年も第一回目の国民の祝日”海の日”に各地で様々なイベントが計画されていると聞く。年々一人でも多くの方々が参加され、楽しい国民の祝日に育ってもらいたいものと願っている。

 

 

 

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